2011年10月6日木曜日

東北、相馬報告































東北・北海道ツアーも無事終わり、報告したいのですが、あまりに書きたいことが多すぎて、まとめるのが、大変状態なので、とりあえず、初日の相馬での出来事を!



なんと前から気になっていた飯舘村を見ることが出来たのだ!




2011年9月13日



車で相馬市に向かう山越えの途中、霊山子供パークセンターという所で、休憩すると道案内の看板にすぐ先を右折すると飯館村とあったのだ。呼ばれたような気がした。とにかく立ち入り禁止の標識が出る所までと車で下って行った。山も深いし、広い。かなり下って、ところどころ、民家が見えて、今ちょっと前までそこで、生活し仕事していたような気配だが、人はいない。すれちがう車もいない。山里の美しい村だ。ここに高濃度の放射能が積もっていると思うといたたまれなくなる。残酷すぎる。精魂つくして何十年もの間、懸命に育てた牛を手放せねばならない辛さ、一際手を尽くしたメス牛、清姫との別れ・・・。途中小学校が見え、車を出て門の前に立つ。街らしい家が立ち並んでる民家の玄関前で、喪服をきた数人の大人と初めて会う。たぶんお葬式で集まったみたいだ。結局立ち入り禁止の看板はなく、村を横断した。


それにしても山の上から平地まで、もの凄く広い村だ。山間部は、特に放射能が高いそうで、政府は除染するなどと口では言ってるけど、この広い山林をどうやって除染するのか、気の遠くなる時間と労力が必要だ。政治家、東電社員、原発事業者は皆ここに来て、現実を知るべきだ。それでも原発再開など言うなら、狂ってるとしか自分には思えない。


 車で南相馬の方から北へ相馬に入る。明日は南相馬に寄って、仙台に向かうことにする。

エンドレスに着いて、顔なじみの皆さんと再会を喜びあう。店のピアノも無事だった。その辺りは津波は来なくて、街並みも変わってなかった。セッティングをすませ、海岸が凄いことになっているようで、マスターの息子さんに案内してもらう。200メートル海岸に近くの道路を指さし、ここまで津波が押し寄せここら先は地獄のようだったと言う。前より少しは片ずいたらしいけど、ところどころに車の残骸や船がそのままに。家は川沿いの家は津波でほとんど流され、平地に。海岸のはるか遠くまで延びていた防波堤は寸断され、ほとんど無くなっていて、改めて実際に見て津波の恐ろしさを身に感じる。


また若い人たちには意外と、急いで高い所へ逃げるということが、優先してなくて、とにかく車で早く遠くへ逃げるという人がいたらしく、ほんのちょっとで波に呑まれた人が多かったらしい。 



 その夜のライブは、もの凄い濃いエネルギーをお客さんから受けとる。

近くの新地に住んでいる大親友の荒君も来てくれる。整体師だが、ユニークな人で、手作りで楽器を作り、それでいつも即興で一曲セッションに飛び入りをしてくれているのだ。その日も瓢箪で作ったアラビア風な笛を持ってきていたので、また一緒にやろうと誘い、休憩中話を聞く。自宅のすぐそばまで津波が襲い、多くの人が流されるの見てしまったという。津波は近くで見ると、グルグルともの凄い速さで渦を巻きながら、人、瓦礫、車、あらゆる物を巻き込んで突き進んで行くそうだ。当初は皆放心状態で、まともじゃなく、言葉じゃ表わせないと・・。その体験はずっと消えないだろう。何回も何回もそのことと向き合って、整理して行く道・・・。彼自ら供養したいと言われ、彼を中心に供養インプロを!


なんと彼の笛から音が出た瞬間から、この世と思えぬようなただならぬ世界が会場に溢れ出てきたのだ。もの凄いオーラ、気が彼から発せられ、体中に入り込んで来たような感覚に襲われ、最初は音も出せず、彼の音に釘ずけ!徐々に加わっていくと、彼は歌いだす。天から降るような声だ。自然に出ている。歌も今回初めて聴く。また時折鳴らす体に巻きつけた鐘が悲しみを癒やす。言葉にならないもの凄い自らの体験を音を通してみんなに伝えたのだ。この世とあの世を彼は、橋渡ししたのだと思う。


終わって音楽の素晴らしさを皆で実感し合う。荒君ありがとう!こんな音楽体験ができたことに感謝です。これからも音楽を友として人生を!


打ち上げで一杯話を聞く。一人でさえ、肉親、知り合いなどのドラマをそれぞれに何十と持っているのだ。

皆マスコミ、テレビなどこっちの内情など正しく伝えてないと怒りまくっていた。

みんな顔には出してないけど、内心は辛くてたまらないんだと思う。実にシャイで温和な会長さんだって

酔って相変わらずいい笑顔を見せてくれるているけど・・・。


飯舘村の話も聞く。とにかく結束が強く、皆で美しい村作りを長年目指し、市合併も村が壊れると、断固拒否。またほとんどの家が野菜、山菜などを作り自給自足の生活になじんでいたので、他の土地に避難してのとまどいは想像を超えて大きいらしい。


南相馬からわざわざ聴きに来てくれた夫婦も、一切原発交付金などもらってないそうで、前途の見通しもつかず、目標も立てられるような状況ではなく、頑張れと言われるより、負けないで!と言われた方がいい!と言うので、早速「がんばんべー!東北」の曲名を「負けないで!東北!」に変更。

相馬は警官見張りの立ち入り禁止区域になっていても、飯舘村よりは放射能は低いそうで、それは、

また原発事故の危険を想定してのことで、飯舘村は長くそこに留まっていると被ばく量が危険ということらしい。ああー、初日からこんなに濃い時間を過ごして、これから何が待っている?


みなさん辛いことは一杯だけど、負けないで!また行きます!



セッションした荒利美君から、お便りが届きました。了解のうえ載せます。


「板橋さん、瀬尾さん、竹村さん、鈴木さんへ


皆さんその後、順調にツアー続いてますか??体調管理よろしくお願いしますネ!

先日相馬エンドレスで、演奏に加えてもらって本当に嬉しくありがたい気持ちになりました。自分の心の奥にあった様々な想い、多くの亡くなっていった人達への想い(身近な人も含めて・・)が、次々と演奏中に湧き上がって、波が引いていくように消えていきました。

もうたぶん何百回も心の整理をしているはずですが、これからも何度となく多くの人達が私と同じように心の中にあるものと向き合わなくてはならないのだと思います。皆んな板橋さん達、メンバー4人が心配して相馬に入って来てくれたこと、とてもありがたく思っています。

しっかり「愛」を感じたLIVEでした。私の心をはげまし、肩をたたいていってくれた板橋トリオの音、4人のハートに感謝します!!」


「・・・・・・・・(略)

しかし音は自分が生きているかぎり自分から離れようとしません。自分にいつもつきあってくれています。

こんな状態がもう半年にもなったのに音は自分に寄り添ってくれています・・。だとすれば音といっしょに少しでも自分を生かしたい。板橋さんたちと出した音、無念の気持ちでいっぱいの被災地の人達の何かを音と一緒に背負ったような、そして静かに空からながめたような・・涙・・。

音を通して感じたもの、大切に育て生かしていけるよう成長していきたいものです。

本当に本当にありがとうございました。」



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